2018/01/18
?明治維新と大村益次郎と八幡浜?
明治維新の十傑の1人に数えられる大村益次郎は、まだ村田良庵と名乗っていた嘉永6(1853)年、
宇和島藩に洋学者として招へいされ(翌年、村田蔵六と改名)宇和島藩で兵書の翻訳・研究や軍艦設計等に従事した(一説には宇和島藩の要請でなく、蘭学者二宮敬作を訪ねるのが目的で藩入りしたという証言もある)。
その際に蒸気船のひな形製造に携わったのが「前原巧山(まえばらこうざん)」である。大村はこの謙虚で身分の低い職人、巧山の才能に驚かされたという話が残っている。
明治維新の立役者に一目置かれたことは八幡浜市民として声を大にして誇りたいものである。